人が本当に死ぬのはいつかについて少し考える

近年も孤独死が増えていることから孤独と死とは避けられない関連性があるように思う。はちゅまるさんのYouTube投稿を見ていた時、人が本当に死ぬのは人々の心の中から死んだ当人がいなくなったときだと思うというようなことを言っていた。よく聞く言葉だが、少し違和感があった。誰かに覚えていてもらわなくては私は生きていられないという感情と結びつくからだ。それは孤独。だが、われわれはどれだけ人々の記憶に残っているのだろう。私を思うのはきっとせいぜい母親と父親だけだろう。みんないなくなったとき、私は果たして死ぬのだろうか。僕はそうは思いたくない。孤独者には孤独者なりの戦いがある。孤独を愛せるか。孤独でも生きていけるかだ。はちゅまるさんとの接点はおそらく今後ないが、何かのきっかけで彼女が感じている孤独が本当の意味で癒されることを願っている。

すいか

まいばすけっとでカットすいかが売っていたので買った。あなたは塩をかける派だろうか。私はかける派である。静岡の春野町の熊切というところの山奥の母の実家ではじめて塩をかけてすいかを食べた。もうもしかすると2度ともどれないあの田舎の家で食べたすいかのことを夏になってすいかを食べるたびに思い出してひとり泣くのだった。あなたにはそういう思い出はないだろうか。

夕方

夕方は朝日よりも明らかにその一日が終わりを迎えつつあることを告げる。そんなとき私はアルハンブラの思い出を聞く。この感傷的な曲はつらいだけの夕日の光を少しだけ和らげてくれるような調べだ。何もない一日に何かがあったようなそんな気持ちにさせてくれる。今、夕日がつらい人はぜひ聞いてみてほしい。

とりあえずブログをはじめてみた

とりあえずブログをはじめてみました。

始めた理由は完全にではないが、かなり孤独になってしまったからです。

私には親も兄弟もいるけれど、友達もいなくなってしまったし、恋人もいないし、今までなんとなく生きてきて35歳になってしまったからです。さみしいけどそれを誰にも言えないので日記としていろいろ書いてみることにしました。ブログの在り方とかそういうのは一切わからないのでご了承ください。